如月・2月「バレンタインデー」
 ~季節の彩~

こんにちは、毎日寒いですね、お元気ですか。
今日は「バレンタインデー」のお話です。

~「如月

2月を「如月・きさらぎ」といいます。
「如月」は中国での二月の異称をそのまま使ったものです。

日本での「きさらぎ」という名前の由来は、
旧暦二月でもまだ寒さが残っているので衣(きぬ)を更に着る月である
から「衣更着(きさらぎ)」
草木の芽が張り出す月であるから「草木張月(くさきはりづき)」
前年旧暦八月に雁が来て、更に燕が来る頃であるから「来更来(きさらぎ)」
陽気が更に来る月であるから「気更来(きさらぎ)」
など諸説あります。

他に梅見月(むめみつき)、木目月(このめつき)等の別名もあります。

「2月」についてのWikipediaのリンクはこちらです。

~バレンタインデー~

聖バレンタインデー(セイントバレンタインデー、St.Valentine’s  Day)は
2月14日に祝われ、世界各地でカップルの愛の誓いの日とされています。
元々269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニの
バレンタイン)に由来する記念日だといわれています。

~バレンタインデーの起源~

バレンタインデーの起源は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされます。
当時、ローマでは、2月14日は女神・ユーノーの祝日で、翌2月15日は
豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日でした。
ユーノーはすべての神々の女王であり、家庭と結婚の神です。

当時若い男たちと女たちは生活が別でした。
祭りの前日、女たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れ、祭りの日に
男たちは桶から札を1枚ひいて、札の名の女と祭りの間パートナーとして
一緒にいることと定められていました。
そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、結婚しました。

ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士は
士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われています。
キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止され
嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行って
いました。
この話が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないよう
ウァレンティヌスに命じましたが、彼は皇帝の命に従わず処刑されました。

彼の処刑の日は、ユーノーの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である
2月14日があえて選ばれました
ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたのです。
このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日と
なったと言われています。

初期ローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力
した跡がうかがえます。
ルペルカリア祭は排除すべきでしたが、ただ禁じても反発を招くだけ
なので、教会はこの祭りに何かキリスト教に由来する理由をつける
必要がありました
そこで兵士の結婚のために殉教したとされるバレンタイン司教の逸話を
利用したものと思われます。
こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来の
祭りであると解釈を変更され、祭りはその後も続きました
くじ引きでパートナーを選ぶ話も、ローマの宗教行事は野蛮であるという
印象を与えるために初期キリスト教会によって創作されたものである
可能性があります。

~カトリック教会における祝日の扱い~

カトリック教会においては、第2バチカン公会議後の典礼改革で
史実の上で実在が明らかでない聖人たちが典礼暦から整理された際に
2月14日のウァレンティヌスの記念日が取り除かれたため、現在では
公式には祝日として祝われていないません

聖バレンタインに関する伝説は複数あり、ローマ殉教録によると
この日に同名の司教が殉教してますが、複数の伝説や奇跡などが重なり
細部が異なって伝えられているようです。

「バレンタインデー」についてのWikipediaのリンクはこちらです。

バレンタインデー

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